icon-plane 第45回  ハラール産業がなぜ盛んなのか

第45回  ハラール産業がなぜ盛んなのか

 

マレーシアのハラール認証は世界でも厳しい認証として有名です。近年は日本でも注目されていますが、さて、この認証システムはいつからどのような形でできてきたのでしょうか。

 

ハラールとはそもそも何か?

 

まずはハラール(注)について復習しておきましょう。

 

ハラールは「イスラーム教徒が食べられる食品」と解している人が多いですが、そうではありません。

 

ハラールとは、アラビア語で「許されていること」の意味。食べ物だけでなく、日常生活のなかのさまざまなことが当てはまり、神が良いとしているものはすべてハラールになります。

 

これに対して、禁じられることはハラームと言います。聖典『クルアン』で規定された不浄で人間にとって危険なものがすべて入るのです。「Non-Halal」という人もいます。飲食品でいえば、豚や酒になり、さらにハラール式で屠殺されていない肉や毒性、健康に害のある食べ物、生産工程でハラールから分離されずに作られた物などがあります。ハラームの規定のほうが多く記載されているため、こちらを理解すれば、自ずとハラールのことがわかることになります。

 

イスラーム教徒にとって、ハラールは神の教えに忠実に従うことであり、信仰そのもの。ハラールはイスラーム教の真髄の一つなのです。

 

いい食べ物と悪い食べ物とは

 

そもそも食べ物をいいものと悪いものに分けたのにはどういう意味があったのでしょうか。神がこの世のすべてを作り給うたのであったのなら、すべての食べ物や飲み物も摂取していいはずなのではないでしょうか。

 

異教徒とも共存していかなければならないこの世の中で、おそらくイスラーム教が勃興した7世紀当時にも健康に悪い、安全でないと思われた食品が社会を横行していたのではないでしょうか。

 

メッカの裕福な家庭に生まれた預言者ムハンマドは齢40歳ごろまで、出身のクライシュ族一族とともに商人として隊商交易に従事していました。

 

中東のさまざまな地域を見聞し、言語や文化的背景が違う民族と交流していくなかで、おそらく健康に悪い、危険な飲食物を見てきたのでしょう。健康的な食べ物を摂取して、宗教的な繁栄にもつなげる考えもあって、神の啓示に従って、飲食品にも良し悪しを下したのだと推測します。

 

なお、豚はアラビア半島の慣習で忌避されていたため、食べてはいけない食品になりました。理由は『クルアン』には記載されていませんが。

 

そして、19世紀以降に近代化が始まり、現代にはさまざまな機械が作られ、飲食物の大量生産も始まりました。これはイスラーム教徒にとっては大きな脅威であったに違いありません。原材料がどこでどういった形でどういうふうに加工されたのかは誰も見分けがつかない状態に陥り、そういった飲食物がイスラーム教徒の前にも現れてきたのです。

 

ハラール承認書の発行

 

まずは世界でハラール承認書を発行した国を少し見ましょう。オーストラリアはハラール承認書の発行を始めた初期の国です。オーストラリア連邦イスラーム協議会が1964年に発足し、ハラール承認を正式に始めたのは1974年でした。この時期はちょうどオーストラリアにイスラーム教徒の移民数が増えていた時期です。

 

また、この頃にはアメリカのイスラーム団体「アメリカ・イスラームサービス」もハラール承認サービスを始めています。

 

シンガポールではシンガポールイスラーム協議会(MUIS)が1968年に設立され、1972年からハラール・サービスを開始。1978年にハラール承認書の発行を始めました。

 

上記はいずれも、中東の国ではありません。多くを輸入に頼り、イスラーム教徒が多く住んでいる多民族社会の国々から始まったのは興味深いところです。

 

そもそもイスラーム教徒が多数を占める社会では、食卓に並ぶのはすべてハラールであったはず。昔の食事はシンプルでほとんど加工食品がなく、自分たちが食べるものがどこでどう作られていたのかも誰もが知っていたのでしょう。別段公的機関が承認する必要もなかったのです。

 

しかし、複雑化する飲食物の生産で、誰がどこで何を混ぜて作っているのかもわからない状況のなかで、イスラーム教徒にとって巷に溢れる食品はもはや信用できないという帰結がハラール承認だったのです。日本でもオーガニック食品に注目されていますが、それと同じようなことなのです。

 

多民族社会のなかで、自分たちが安心して食べられるように食べ物の審査を厳密にし、正式な機関が承認する形をとっていく動きが生まれたのが70年代だったのです。
 

 

マレーシアでのハラール承認

 

マレーシアではどうでしょうか。
実は、上記の国よりももっと早くマレーシアではハラール承認書を発行しました。おそらく世界で初めての発行です。

 

スランゴール州イスラーム宗教局が1965年から発行しています。1960年代初頭には「ハラルラベル」を勝手に商品に貼り付けて販売する行為が多発。同局は「イスラーム法に背く行為」として批判しましたが、その後も跡を絶たなかったようです。このため、マレー人が安心して食べられるようにと承認書の発行に踏み切ったとみられます。

 

同年に承認書が発行された会社の一つには、「味の素マレーシア社」があります。味の素は、当時「ハラームのものを素材にして作っている」と噂されました。承認書を得て、新聞上でハラール承認書を掲載して、これを打ち消したのです。

 

JAKIMはどうやって登場したのか

 

日本人の間でも知られている、イスラーム開発局(JAKIM)は今でこそ世界で最も厳しいハラール承認書を発行する機関として有名ですが、JAKIMはもともとハラール承認で発足した機関ではなく、今もハラール承認だけをやっているわけではありません。

 

JAKIMの起源は1968年にさかのぼります。マレーシア国内のイスラーム教に関するさまざまな課題について協議・調整する国家イスラーム教宗務評議会(MKI)(1968年設立)の事務局として1970年に立ち上がりました。MKIはその後1980年までに20以上の会合をもち、法律や教育など200以上の課題について話し合っています。

 

1974年には首相府内のイスラーム教局となり、1985年にイスラーム宗務局(BAHEIS)に名称変更。1997年1月に現在のイスラーム開発局(JAKIM)となったのです。

 

当初は14部署あったのですが、現在はイスラーム開発政策部、調査部、国際関係部、家族・社会・共同体部、出版部、教育部、ハラール管理部など19部署にまで増えています。

 

この機関がハラール承認書を発行し始めたのは1974年。当初はBAHEISのロゴを使用していました。のちに述べるように当初は州別でも承認書を発行していたので、ロゴはいくつかありました。そして、今のロゴに統一されたのは1994年のことです。

 

2002年には食品・物品調査部ができ、現在のロゴを作成。この部署は2005年にハラール・ハブ部と変更しました。

 

2006年には別機関として、ハラール標準化や監査などを目的としてハラール産業開発公社が設立されました。2008年にはこの公社にハラール承認証の発行権限が移りましたが、翌年に再びJAKIMに戻されました。

 

JAKIMは1974年からハラール承認書を発行しましたが、実際、1972年取引表示法ではJAKIMに法的な取り締まり権限はなく、ロゴの悪用があった場合2011年までは国内取引・協同組合・消費者省に通報して同省が取り締まっていました。

 

これらを是正するため、国会では2011年取引表示法が成立し、JAKIMに強い権限が与えられました。この新法律ではハラールの定義や承認書について詳細が記載されたのです。2011年までハラール承認書は各州のイスラーム宗教局や一部民間企業(!)が発行していたのですが、これが一切禁じられ、発行機関がJAKIMに統一されたことは画期的でした。

 

先に述べましたように、スランゴール州イスラーム宗教局が1965年に承認書の発行を始めたのですが、JAKIMは、2011年に発行権限が集中するまでは、おそらく各州でハラール承認書を受けた企業についてはほとんど把握していなかったと思われます。このため、ロゴを不正に使用する事例が全国で跡を絶たず、不正対策のためにも連邦政府は権限集中に踏み切ったのでしょう。JAKIMは取得企業すべてを把握するため、各州政府などから承認書を取得した企業に2012年までにJAKIMに再申請することを義務付ける通達を出し、一元管理することができたのです。

 

連邦政府はハラール産業の育成と市場拡大に力を入れ始め、これ以降に厳しいハラール承認が実施されていきます。この点については、逮捕されたナジブ前首相の大きな功績の一つとも言えます。

 

JAKIMはブミプトラ優遇政策と連結していた

 

さて、ざっとの歴史は上記のとおりですが、JAKIMが1970年に設立されたことは非常に重要です。

 

1970年といえば、1969年に人種暴動があった翌年です。政府はマレー人の収入の底上げを図るために新経済政策(いわゆるブミプトラ優遇政策)を導入しました。また、ハラール承認書が正式に発行され始めたのは1974年。この年は人種暴動後初の下院議員総選挙が行われた年です。

 

つまり、JAKIMの設置やハラール承認書の発行は、ブミプトラ優遇政策の一環であったとも言ってもいいでしょう。イスラーム教とは切っても切り離せないマレー人への強烈なアピールにもなったのです。

 

その後、ハラール承認は食べ物だけでなく、サービスや輸送といったものにまで拡大しています。

 

マレー人がハラール承認システムに懸命に注力するのには、ハラール承認が彼らのアイデンティティーにもつながっているからではないでしょうか。

 

豚や酒を食する華人やインド人が住む多民族社会で、自身のアイデンティティーを強化するために目に見える形として作り上げていったのがハラール承認なのでしょう。このため、自ずと厳格化して世界にも胸を張れるものとしているのです。逆に言うと、マレーシアが多民族社会でなければ、ここまでハラール産業は確立しなかったでしょう。

 

(注)日本ではハラルと呼びますが、アラビア語表記にならい、ハラールとします。

 

伊藤充臣■在馬歴14年目。マラヤ大学人文社会学科歴史学科で修士と博士号を10年がかりで取得。趣味は読書と語学。専門の東南アジアを極めるため、最近ではクメール語に注力している。

 

記事掲載日時:2019年08月08日 11:55