「無料で僕を働かせてください!と店に直訴しました」 世界一の外国人和食シェフの意外な原点

世界各国のシェフが和食の腕を競う「和食ワールドチャレンジ2016」で優勝したマレーシア人のチョン・チェン・ロンさん。「和食ワールドチャレンジ」は農林水産省が主催した、世界各国の和食シェフのための日本料理コンテスト。26か国から205作品の応募があり、各国のシェフたちが和食技術を競うなか、マレーシアで学んだ和食で王座に輝いた。普段はクアラルンプールの鮨店「織部」でアシスタント・シェフを務めているチョン・チェン・ロンさんにインタビューした。(聞き手&翻訳 野本響子)
 
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ーーなぜ日本料理のシェフになったのですか?
 
小さいころ「料理の鉄人」をテレビで見ていて、「なぜ生のものを調理せずに出せるんだろう?」と不思議でした。マレーシアと料理スタイルが違うことに興味を持ったのです。20年前、僕がいたジョホールバルでは、和食店はホテルに1、2軒あるくらい。今のようにポピュラーではありませんでした。僕も和食は食べたことがなかったのですが、面白いな、習ってみたいなと思いました。

 

■原点は「料理の鉄人」家族の大反対を押し切って料理人に
 
ーー学校でも料理を勉強したのですか?
 
学校ではホテル&マネジメントを学びつつ、日本食も出すマレーシア式のカフェで働いていました。しかし1学期終わったところで、学校をやめて料理人になることを決めました。家族全員がすごく怒りましたよ。貧乏だったのに、学校に行かせてもらっていたので。
 
最初のレストランでは中国人シェフの元で、中華、ウエスタン、日本料理と、キッチンヘルパーとしてなんでも担当しました。その後、21歳のとき、初めて日本人シェフのいる日本食レストランで働くことになったんです。
 
ーーどんな毎日だったのですか?
 
キッチンの清掃から始め、焼き物、揚げ物、丼、鉄板焼き、煮物、ラーメンと習い、良いトレーニングになりました。日本料理を食べるようになり、ラーメンが気に入り毎日食べていました。3年、ほぼ休まずに働きましたが、とても幸せでしたね。その後は2年、ビュッフェ式レストランで日本食のアシスタント・シェフとして働き、その次はYTLホテルグループのレストランで、日本人シェフに懐石料理を学びました。料理はシェフによってスタイルが違いますね。懐石料理の店では、シェフから特に「態度」を学びました。例えば、彼は100人のご飯を作るのに、わざわざ炊飯器ではなく小さい土鍋で何度も炊くのです。
 
ーー懐石料理も難しそうです。
 
しぐれ煮とか、角煮、揚げ煮など、それぞれ同じ煮物でも呼び方が違うのが難しいですよね。あと、味見が非常に大事であることも学びました。この懐石料理のレストランには3−4年いたのですが、怒られたことがないんです。よく日本のテレビではシェフが怒る姿を目にするんですけどね。
 
このシェフが店を去った後、自分のキャリアで悩みました。そんなとき、インターネットで、日本人シェフの鮨店がクアラルンプールにできることがわかりました。そこで直接「キッチンヘルパーはいりませんか? ただでもいいので、働かせてください」とお願いした。それが今のマスターシェフ折付秀明さんとの出会いでした。
 
ーー売り込んで働かせてもらった。

 

はい。そこで洗い物から初めて、キッチンヘルパーとして使ってもらいました。新たな環境で、自分をアップグレードしたかったんです。前の店の契約も残っていたので、午前中は鮨店で働き、午後は以前の和食レストランで仕事した。9ヶ月経って、ようやくフルタイムで鮨店に参加することになりました。

 

■「東京にただで行ける」と聞いて参加を決意

 

 
その後、シェフの折付さんが独立して作ったのが織部でした。そこで僕もフルタイムで参加することになりました。鮨を学びたかったんです。織部でアシスタント・シェフとして4か月働いたところで、今回のコンテストの話があり、参加することにしました。「参加してみたら? 東京にただでいけるよ!」って言われてね(笑)」
 
ーー他のシェフにも声がかかったのですか?

 

いえ、僕だけがマレーシア人のシェフだったのです。他は日本人ばかりです。だから、ときどき広東語が懐かしくなりますね。
 
ーーコンテストはどんな風に進んだのですか。

 

まず、最初にレシピを考えて送りました。自分の10年の経験を生かし、コピーではない自分の創作レシピで勝負しようと。お店が休日になる日曜日に毎回来て、あれこれ試作し、応募しました。コンテストには205人の応募があり、第一次予選を通過した20人に入ったと聞いたときにはびっくりしましたね。そして東京に行って決勝で料理を作ることが決まりました。「織部」のシェフたちも暖かく応援してくれました。
 
ーー日本は初めてでしたか。

 

大阪に行ったことはあったのですが、東京は初めてでした。新宿に宿泊し、伊勢丹で食材を仕入れました。けんちん焼きに使うのど黒、赤ムツ、人参、カボチャ、しいたけなどを買い込み、マレーシアから持って行ったクーラーボックスに保管しました。

 

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コンテスト当日は2時間で合計8皿を作らなければなりませんが、普段とキッチンが違うので大変です。プランニングが最も大事だと思いましたね。なんとか「赤むつのけんちん焼き」を含めた全品を作り終わることができました。審査員からポジティブなコメントをもらい、ああ、これで十分だと思っていたら、取材していたカメラマンが「君にチャンスがあるかもしれないよ」というので驚きました。その後、本当に優勝したと聞いて、びっくりしたし、嬉しかったですね。
 
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ーー優勝した後で、何か自分やお店に変化はありましたか。

 

お店のお客さんがいよいよ増えて、予約が取りづらくなりました。お客さんからも「優勝したんだって?」と声をかけられることが増えて嬉しかったですね。

 

ーーマレーシア人と日本人は味覚が違うと言われますが、日本人やマレーシア人のお客様にどうやって対応しますか?

 

確かにマレーシア人と日本人の味覚には違いがあります。例えば、マレーシア人には「豚骨ラーメン」は油っぽくて、塩辛く感じます。そのため「織部」では、お客様がマレーシア人か、日本人かで味を変えているのです。女性か、男性か、子供か、でも変化させることがあります。
大事なのは相手からのコメントやフィードバックですね。おそらく「正しいお客様」というのはいないんですよ。それぞれのお客様の好みを把握し、一人一人に対して少しずつ変化させていきます。

 

クアラルンプールではここ1年で閉店していくレストランをたくさん見てきました。10年続けていくのは大変なことですが、お客様一人一人を大事に今後も料理していきたいですね。

 

ーーありがとうございました。

 

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(編集後記)
「織部」のマスターシェフ折付秀明さんにチョンさんの評価を伺いました。「クアラルンプールの和食は競争が激しく、レベルも上がってきています。その中で、優勝できたのは素晴らしい。彼には特に素質があったと思います。学ぶ力も大きく、カウンターに入ってもらう日も間近だと思っています」と話してくれました。
謙虚で穏やかなマレーシア人らしいチョン・チェン・ロンさんが、日本食シェフとして活躍する日が楽しみです。

 

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