第6回 マレーシアの象徴と遺産としてのツインタワー

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 今やマレーシアの観光名所として不可欠なのがクアラルンプールのツインタワー。下層階はショッピングモールで、上層階は国営石油会社ペトロナスの本社になっています。今回はマレーシアの象徴となっているこのタワーの建設史と同時に、なぜこのタワーが必要だったのかを考えてみたいと思います。

 

超高層ビルのさきがけに

 クアラルンプールの高層ビルの歴史は古くはありません。1957年当時、独立3日前にオープンしたブキビンタン地区の9階建てのフェデラルホテル(現在は20階建)が最も高いビルでした。以来、これを越える高さの建物は70年代に入るまでありませんでした。70年代には36階建のクラウン・ムティアラ・ホテル(2013年に取り壊し)などが建てられ、少しづつ首都の建物は高層化されていきました。

 

 ツインタワーが建設されるきっかけとなったのは、インド系の富豪アナンダ・クリシュナ氏が商業施設建設を目的として現在のツインタワーの敷地一帯を購入したためです。この一帯にはすでに19世紀から英国人向けの競馬場がありましたが、この観戦のために週末は渋滞がまん延化。当時のマハティール首相はこの渋滞解消のためにも競馬場を移転し、公園造営をしたかったのです。この思いが同氏に受け入れられて一部を公園に充てられました。

 

 そして、建物の国際公募を実施したところ、アルゼンチン出身で米国国籍の建築家シーザー・ペリー氏の正方形の超高層ビルの案に決まりました。シーザー氏は東京の米国大使館やNTT東日本本社建物など超高層ビル建築家として知られています。これをきっかけに首都のビルの高層化が本格化します。

 

正方形を八角形にして現在のデザインに

 

 マハティール首相は設計からこだわって関わりました。正方形のデザインではなく、イスラム建築独特の八角形のデザインを取り入れるよう建築家に要請したのです。シーザー氏はイスラム建築には疎かったのですが、政府の意向に沿ってデザインを変更しました。内部のスペースを確保するため、八角形の角を極力削って工夫もしたのです。

 

 超高層ビルには多くのエレベーターを必要とします。エレベータースペースが余計に取られるため、これが課題となりました。そこでエレベーターの設置台数を少なくでき、その空間も取らないダブルデッキエレベーターを世界で初めて導入しました。また、シーザー氏は地上から170メートルの41~42階部分に全長約58メートルのダブルデッキ・ブリッジも導入し、斬新なデザインとなりました。

 

 さらに、ツインタワーは首都の超高層ビルとしてだけでなく、世界最高峰の高さに挑戦します。当時の世界最高峰のタワーは、442メートルのシカゴのシアーズ・タワーでした。ペトロナス(当時)の会長が85階ぐらいまでの高さの予定を数階増設して88階建てに提案したうえ、約73メートルの尖塔を各屋上に設置して451.9メートルの高さにすることにしました。尖塔もイスラム寺院モスクのミナレットの要素を取り入れたのでした。完成と同時にツインタワーは世界最高峰となりました。

 

 タワーの一方は日本の建設会社ハザマ、片方が韓国のサムスン物産がそれぞれ落札し、1993年3月に着工。世界最高峰の高さですから土台はしっかりと作られなければなりません。建設する土地を30メートル堀り、そこに13,200平方メートル分のコンクリートを敷き詰めて基礎工事を施しました。その後は一階部分を4日のペースで建設していき、1994年に概観ができあがりましたが、さらに4年の歳月がかかって1998年に完工したのです。
 マハティール氏は首相を退任した後にペトロナスの顧問に就任し、2016年に辞めるまで86階にあるオフィスにほぼ毎日出勤していました。

 

建設が必要だった理由は?

 

 ツインタワーの建設を主導したマハティール元首相ですが、自伝のなかでもその建設理由については残念ながら語っていません。
 しかし、ツインタワーをマレーシアの象徴にするためだったことは確実です。以前にもお話したように、多民族社会で個々の民族アイデンティティーが強固なマレーシアでは、互いに共有するものがほとんどありません。そこで全民族が共有でき、誇りに思えるものとしてツインタワーを建設したのです。今ではマレーシアといえば必ずツインタワーの写真が出てくるのもそのためです。

 

 ツインタワーを象徴にしたのは、マレーシアにとって絶大な効果が実はあります。日本は歴史が長く、日本の津々浦々に神社仏閣その他の歴史遺産が星の数ほどあります。平等院は10円玉硬貨にも描かれ、日本人は建物を通じて日本とその歴史を感じています。

 

 しかし、マレーシアの場合、マレー半島東海岸にイスラム教が伝播したと記す石碑はありますが、それ以外のマレー半島独特の巨大遺跡はほぼ皆無。ペナンやマラッカは現在世界遺産に認定されていますが、建物はほとんどが植民地時代にできたものであり、マレーシアの人にとってはいわばどこか「他国」の建物なのです。また、昔のモスクや中国寺院などは残っていますが、民族や宗教が違うために共有できる対象ではなく、建物を通じて「自分たちが共有できる」歴史を感じるものがないのです。そこでマレーシア人としての誇りと象徴、さらに共有する心を育てるため、ツインタワーは建設されたといっても過言ではないでしょう。

 

 そして、もう一つの理由は、これは勝手な私見なのですが、ツインタワーを将来の遺跡にするためだったのではないでしょうか。100年先の地球がどうなっているかわかりませんが、もしかすると地盤沈下してツインタワーが沈むかもしれません。300年後の考古学者がツインタワーを土の中から発見し、国家としてのマレーシアがここにあったことを証明できます。アンコールワットやボロブドゥールのような巨大遺跡がないマレーシアで、唯一巨大な遺跡になるのはおそらくこのツインタワーぐらいでしょう。未来永劫にわたってマレーシアが国家として存在したことを証明付ける建物にもしかするとマハティール元首相は考えていたのかもしれません。

 

 こういうふうにツインタワーを見ると何だかロマンチックになりませんか。

 

 

 

伊藤充臣■在馬12年目。マラヤ大学の歴史学科で修士号と博士号をだらだらと10年がかりで取得。趣味は読書と語学勉強。最近は日本の小説に読みふけっていると同時にミャンマー語の勉強も始めた。

 

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