第7回 ブミプトラは誰? 優遇政策とは何?

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 日本人の間で知れ渡っている「ブミプトラ優遇政策」。文字通りブミプトラと呼ばれる人々を優遇する政策であることは知られていますが、果してブミプトラとは誰のことを指しているのでしょうか。また、この政策の名称は有名ですが、背景や経緯などについては一般的にあまり知られていません。今回はこれらに焦点をあててみます。

 

用語としてのブミプトラとは

 

 単語としてのブミプトラ(Bumiputera)はサンスクリット語からの借用語で、BumiとPuteraに分けられます。前者は「土地」を意味し、後者は「王子」や「息子」で使われます。これが合体してブミプトラは「土地の子」と日本語で訳されます。
 この言葉は1920年代にはすでにマレー半島やジャワ島などでも使われていたことがわかっています。しかし、30年代から60年代まではあまり積極的に使用されませんでした。使われたとしても「マレー人」の同義語でした。

 

 サバ州やサラワク州、シンガポール(のちに分離)を加えたマレーシア連邦が1963年に結成されます。華人が多いシンガポールが入ったことで、マレー人の政治的立場が不安定化することを恐れ、与党はサバ州やサラワク州の多くの少数民族を巻き込んで政治的に絶対多数を確保しました。それと同時に「ブミプトラ」の定義が拡大しました。当時のラーマン首相は国会で1965年にブミプトラの法的定義がないことを認めたうえで、「何世代にもわたってここで生れた華人もインド人もブミプトラとなる」と回答。しかし、その3年後には「ボルネオ島のネイティブ(原住民、つまり少数民族)」と「マレー半島であれば、マレー人とアボリジニだ」とその定義を明言しました。つまり、多数いる華人よりも多い集団としての概念になったのです。

 

 しかし、政府の公式文書では1980年代になるまで「マレー人と少数民族」などといった表記を使い、マレー人と少数民族をまとめて「ブミプトラ」としては使われませんでした。マハティール時代になって初めてその意味で明確に使われるようになったのです。ただ、研究機関などによっては違った解釈もあります。

 

ブミプトラ優遇政策とは何?

 

 日本語での「ブミプトラ優遇政策」は正式名称ではありません。日本人研究者が命名した名称で、正式名称は英語でNew Economic Policy (NEC)「新経済政策」といいます。

 

 NECの策定は1969年5月13日の人種暴動がきっかけです。暴動直前に行われた下院総選挙では与党が惨敗。これに不満をもつマレー人と、野党を主に支持した華人が衝突して死者100人以上を出したのです。政府はその原因を農業を主に営むマレー人と商業を中心に生活する華人の経済格差が徐々に拡大したためと分析。この結果、マレー人と少数民族を優遇する経済政策を翌年にラザク首相が打ち出したのです。

 

 NECは主に2つの目標を掲げていました。①人種を超えた貧困の撲滅、②マレー人の資本所有率30%を90年までに引き上げて、雇用水準の向上で社会構造を再編すること。70年当時の貧困率を見ると、総人口の52%が貧困層に入り、とりわけマレー人のうち約65%が貧しい生活をしていました。国全体の貧困率を下げるためには、マレー人や少数民族を優先する必要がありました。実際には、公立大学入学の民族比率の適用(2003年に表向きは終了)、奨学金取得や公務員就職への優遇、住宅購入価格の割引や住宅ローンの低金利といった施策がありました。

 

現在まで続く優遇政策

 

 NECはもともと20年間の長期政策であったため、90年には終了。90年の貧困率は総人口の16.5%に激減し、マレー人においても約24%まで引き下げられ、一定の成果があったともいえるでしょう。ただ、資本所有率については同年時点で約20%にとどまりました。さらなる底上げのため、政府は名称を改め20年間の国家開発政策(NDP)を始めました。

 

 NDPは2000年に終了し、マハティール政権はこの政策を引き継ぐ10年間の国家ビジョン政策 (NVP) を導入。そして、ナジブ政権は2011年から新経済モデル (NEM) を実施していますが、政策の本質であるブミプトラを優先することには変わりはありません。

 

 これらの政策に対しては、多くの批判があります。特に華人やインド人からは「不公平」との声が多く、2008年下院総選挙では優遇政策の廃止を掲げた野党が躍進しました。その後に誕生したナジブ首相も段階的に見直しています。しかし、優遇政策の廃止には憲法のマレー人の特別地位にも関わるため、完全に廃止するのは難しいのが現状です。
 

 

 さて、今年7月にナジブ首相はブミプトラの一員にインド人イスラム教徒を含めたい意向を示しました。首相はこの理由について明確には示していませんが、インド人イスラム教徒はマレー人社会に融け込もうと努力しているとその理由を示唆しました。来年末までには下院総選挙があるので、リップサービスのような気もします。ただ、インド人イスラム教徒を含めることには疑問を呈する声は挙がっています。

 

 いずれにしても、ブミプトラという言葉は政治的な意味合いで戦後は使用され、その時々によって解釈が変わってきました。しかし、ブミプトラという意識は誰ももっておらず、政府もその意識覚醒には力を注いでいません。それよりもマレー人や少数民族であるサバ州のカダザン族、サラワク州のビダユ族といった意識のほうが強く、「ブミプトラ人」の意識が根付くことはないでしょう。
 

 

 

伊藤充臣■在馬12年目。マラヤ大学の歴史学科で修士号と博士号をだらだらと10年がかりで取得。趣味は読書と語学勉強。最近は日本の小説に読みふけっていると同時にミャンマー語の勉強も始めた。

 

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