第9回 プトラジャヤの発展

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 クアラルンプールから車で約一時間で行ける行政都市プトラジャヤ。市内はクアラルンプールやほかの都市とは違って、まるで中東の街のような佇まいで、きれいに整っています。この街の歴史は前回のクアラルンプールの歴史とは違い、長くはありません。

 

街建設の発端はプロトン?

 

 プトラジャヤの建設の発端は、当時のマハティール首相が力を入れた国民車プロトンが爆発的に売れたことと関係しています。

 

 1985年から安価で販売し始めた国民車を低所得者も含めた多くの人が購入。その結果、首都クアラルンプールには車があふれるように増えました。さらに人口も激増して、首都圏各地で大渋滞が発生。80年代以前には見られなかった現象でした。

 

 当時のクアラルンプールのエリヤス・オマール市長が首都機能を移転するよう首相に進言しました。クアラルンプールは独立当時からの首都であり、国王の公邸や国会議事堂、行政機能など国の機関が集中していることからすべての移転は難しいと初めは考えていました。

 

 しかし、政府省庁がクアラルンプールの1カ所ではなく、点在していることに首相は注目。省庁に勤める国家公務員だけでも数万人に上り、一人一人が車を利用しているとなるとこれだけでも相当数の自動車の台数になります。市長の進言を熟慮した結果、行政機関のみを移転させることをマハティール首相はのちに決断しました。

 

 マハティール首相の自伝によると、当初の移転先はクアラルンプール北東のパハン州ブキ・ティンギやジャンダ・バイでした。しかし、土地買収額が予算を越えたうえ、首都からも遠いために断念したのです。

 

 そこで目を付けたのが、首都からもそれほど離れていないスランゴール州プラン・ブサール地区でした。当時のそこは一面のパーム油農園でした。マハティール首相が同州のスルタンにこれについて話をしたところ、即座に快諾され、93年までに7億リンギで買収して新都市の建設を始めました。街の名称は初代首相のトゥンク・アブドゥル・ラーマン・ハジ・プトラの名にちなんで「プトラ」(王子の意)に「ジャヤ」(勝利の意)を付けて「プトラジャヤ」と命名されました。
 

 

マハティール氏の意向が強く働いた街

 

 街の建設は1995年から始まりました。総工費は260億リンギ以上。国営石油会社ペトロナスが子会社を設立して開発を担当しました。広大なパーム油農園であった1万エーカー以上の土地をまず更地にして、政府職員とその家族を含む30万人が住めるように開発したのです。

 

 都市計画では道路を広くし、緑を多く配置した田園都市にすることにしました。マハティール首相は欧米の都市にあるような、街中を突き抜ける長い直線の大通りを造成することを都市建設計画のなかに盛り込ませました。フランス革命記念日にパリのシャンゼリゼ通りで行われた軍事パレードを見て感銘し、これがきっかけで現在の首相官邸からまっすぐに延びる大通り(プルダナ通り)ができました。ここでは毎年、8月31日の独立記念日にパレードが行われています。

 

IMG 20170801 1407401 - 第9回 プトラジャヤの発展

プトラジャヤ湖と王宮(左端)

 

 

 また、湖の造成にも首相はこだわりをもちました。米国ワシントンや豪州キャンベラなどの都市には河や湖といった水が近くにあり、自然豊かな街にしたい強い意向を計画で反映させました。その結果できたのが人工的に造り上げたプトラジャヤ湖です。しかし、もともとパーム油農園であったことから、人工湖への水の給水には一苦労しました。当時クアラルンプールに住んでいた人の話によると、首都や周辺の町の断水措置をして湖に給水したようです。

 

 街の建設にともない、マハティール首相はまた、新都市市内を走るモノレール建設にも意欲を示し、トンネル工事に6億リンギを投じました。当初2路線26駅が建設される予定でしたが、2004年に工事は中止。マハティール氏の後継となったアブドラ首相が大型公共事業の縮小を掲げたために頓挫となりました。このトンネルは現在もそのままの状態で一部残っています。

 

 そして、1999年に街が完成し、首相府職員300人が最初にプトラジャヤに引っ越し、行政都市として始動しました。行政機関はその後、徐々に移転していき、2005年までにはその大半がプトラジャヤに移りました。

 

IMG 20170801 1400222 - 第9回 プトラジャヤの発展

首相官邸の正面入口

 

 プトラジャヤは現在、メイン通りであるプルダナ通り沿いを中心に多くの行政機関が並んでいます。それまでマレーシアで見られていた建築物とは異なり、多くの奇抜なデザインの建物が建っています。首相官邸や裁判所にはイスラム建築が取り入れられ、大きなドーム型の屋根は目を引きます。また、首相官邸隣に大きなプトラ・モスクがあります。この向かいの湖畔にはスランゴール州スルタンの王宮が建っています。これは2001年にプトラジャヤが連邦直轄区になった際、広大な土地に街を建設することを快諾したスルタンに対して連邦政府が謝意を込めて献上した建物です。

 

 プトラジャヤには多くの居住地域がありますが、国家公務員とその家族などが主に住んでいます。人口は8万8000人ほど(2015年現在)です。市議会はなく、街の運営をしているのはプトラジャヤ公社。目を引く建物や湖畔での遊覧などで近年は国内外からの観光客も増えています。

 

 
 
伊藤充臣■在馬12年目。マラヤ大学の歴史学科で修士号と博士号をだらだらと10年がかりで取得。趣味は読書と語学勉強。最近は日本の小説に読みふけっていると同時にミャンマー語の勉強も始めた。
 

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