第18回 マレーシアでのツーリズムの発展

rekisi

 

観光業に力を入れているマレーシア。2017年は年間約2,600万人の観光客が訪れ、国の一大産業となっています。しかし、政府が観光業に注力し始めたのは、そう昔からでありません。

 

旅は誰でもできることではなかった

 

 世界の旅行家といえば、13世紀に20年以上にわたって1万5,000キロ以上を旅したマルコ・ポーロや14世紀に30年以上旅し続けたイブン・バットゥータが有名です。飛行機のない時代に、ヨーロッパや中東から徒歩やラクダ、船などで世界を旅しました。彼らはマレー半島も訪れ、植民地時代以前の姿を旅行記に記しています。

 

 植民地時代になると、純粋に旅するヨーロッパ人はあまりみられません。当時は探検家と称する人たちが多くいました。思いつくだけでも、アメリカ大陸を「発見」したクリストファー・コロンブスやフィリピンを「見つけた」フェルディナント・マゼランといった探検家がいます。彼らは船に乗って世界を周りましたが、旅行家というより、ヨーロッパ諸国の植民地支配を拡大するための偵察のような役割を担っていました。

 

 19世紀には、稀に見る女性旅行家イザベラ・バードが旅行目的でマレー半島などを訪れています。また、20世紀前半だと尾張徳川家第19代当主の徳川義親侯爵がジョホールなどを旅目的で訪れたことも有名で、少しずつ旅行が一部の人にされるようになりました。

 

 1869年に開通したスエズ運河や蒸気船の発達、航空機の導入などでヨーロッパとアジアはより近くなりましたが、渡航費用が膨大となったため、旅ができるのは富裕層のみに限られており、旅が誰でも日常的にできるわけではありませんでした。
 

 

旅行は敬遠されていた

 

 そんななかでもマレー半島に旅行で来る人たちの目的地は、西海岸のペナン島やシンガポールがほとんどでした。駐在の英国人はキャメロン・ハイランズなどに保養目的で旅に出たものの、東海岸まで足を伸ばす人はほぼいませんでした。イスラム教徒のマレー人の間ではメッカへ巡礼したり、著名な指導者に会うために東海岸などに赴いたりする人もいたようですが、保養などを目的とした旅とは言えないでしょう。

 

 

 1957年の独立後も旅行は庶民の間で浸透しません。それどころか、特にマレー人の間で旅行はヒッピーや麻薬と結びつく悪いイメージがあり、旅行は敬遠されていました。断食明け大祭であるハリラヤなどで帰郷する程度の移動はありましたが、それ以外ではほとんど遠出をしなかったとみられています。

 

政府が観光を一大産業に確立した

 

 政府が観光に力を入れはじめたのは70年代に入ってからです。それまでマレーシアはゴムやスズの輸出による外貨収入に頼っていました。しかし、不景気でゴムの国際価格が下落し、スズも主な鉱床を掘り尽くし枯渇していったことから、商品の輸出に依存しきれなくなっていきました。そこで政府が目を付けたのが観光業(ツーリズム)です。

 

 まず、政府は初めて観光促進を目的とした、貿易産業省管轄の観光開発公社(TDC)を1972年に設立しました。また、中期経済開発計画である第3次マレーシア計画(1976~1980)では、初めて観光を一つの産業として認め、力を入れていこうとの気迫を感じます。

 

 1985年になると、当時のマハティール首相は観光を主要産業にすると明言しました。1987年には観光文化芸術省が創設され、TDCはこの省に組み込まれて本格的に観光振興に力を入れていきます。

 

 1988年に「魅力的なマレーシア」、1990年に「マレーシア観光年」といったキャンペーンを次々と展開し、観光客の誘致に力を入れていきました。1992年にはマレーシア政府観光局が設立され、海外にも支店を置いて、観光客数の増加に注力していきます。

 

 政府のこれらの努力の結果、1970年にはわずか年間7万6,000人だった海外からの観光客数は1998年には550万人を記録。2012年には2,500万人を超え、観光収入もこれに伴い大幅に上がっていき、一大産業として確立していきました。現在では各州にも観光局があり、キャンペーンを毎年展開しています。

 

 マレーシアの主要産業は製造業などがありますが、年間2,500万人以上が来て、お金を落としていく観光業は、マレーシア国内経済を大いに潤しています。政府は今年の観光客の目標数を3,310万人に設定。2020年までには年間3,500万人を目指していますが、2017年は前年から観光客数を減らしており、観光産業にとって今年は正念場となりそうです。

 

 

伊藤充臣■在馬12年目。マラヤ大学の歴史学科で修士号と博士号をだらだらと10年がかりで取得。趣味は読書と語学勉強。最近は日本の小説に読みふけっていると同時にミャンマー語の勉強も始めた。

 

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