第47回 言語別に発行されてきた新聞史(後編)

rekisi

 

前回はマレーシアで新聞がどのように発刊されてきたのかを振り返りました。今度は英国・日本の植民地を経て、その後どのようにおなじみの新聞が発行されてきたのかを見てみましょう。

 

20世紀前半は新聞創刊の花盛り

 

20世紀に入るとマレー半島の中でも特に海峡植民地(シンガポールやペナン、マラッカ)やイポーで新聞が相次いで発刊されました。

 

英語の新聞は6紙、マレー語の新聞は10紙以上が創刊しました。内容はマラヤ経済や欧米のニュースで、英語の内容をそのままマレー語に訳して発行する新聞もありました。

 

この時代には重要な新聞がいくつか発行されます。1931年に統一マレー人国民組織(UMNO)創設者のダトー・オンが発行編集したマレー語紙『Warta Malaya』が創刊。ほぼ10年の発刊にとどまりましたが、当時はマレー人の間で大きな反響のあった新聞なのです。

 

また、休刊騒ぎのあった『Utusan Malaysia』の前身である『Utusan Melayu』です。1939年に創刊されたこの新聞は、現在のシンガポール紙幣に描かれているユソフ・イシャク(シンガポール初代大統領)が発刊し、マレー人の間にナショナリズムを鼓舞していきました。

 

英語やマレー語、そしてこの時代に発行されていたタミール語13紙は一応に時事ネタなどを主に取り上げていましたが、中国語の新聞は少し趣が違いました。

 

1910年に創刊され、今も続く『光華日報』はペナンで孫文によって始められました。中国の政治情勢などが報じられたのです。中華圏を除くアジアのなかで最も早く創刊された中国語新聞としても有名です。

 

現在の華人の主要紙となっている『南洋商報』は1923年に創刊。ゴムなどで実業家となった陳嘉庚がはじめました。また、既存の新聞の広告料が高いことに不満をもち、「それなら自分でやってしまおう」と始めたのが『星洲日報』。1929年にできたのですが、創刊者は胡文虎。この人は医療品「タイガーバーム」を作った人で有名ですが、この薬の広告を出すために新聞まで作ってしまったのです。以後、タイガーバームは爆発的に売れます。

 

日本軍の侵略後はそれまでのすべての新聞が発行停止されました。日本軍は英語紙『ペナン新聞』や『マライ新報』など数紙を発刊してプロパガンダにつとめました。マレー語紙も『Semangat Asia』『Berita Malai』などを発行する一方、中国語では『昭南新聞』などが印刷されたのです。

 

有力紙が次々と復刊して独立へ

 

第二次世界大戦後は戦前に発行していた新聞が次々と再発刊しました。

 

しかし、戦前の一部の有力紙は1950年代初めに廃刊となる憂き目もみましたが、独立に備えて1956年以降に本社をシンガポールやペナンから首都クアラルンプールに移転する新聞社もありました。

 

現在主要紙はいくつかありますが、そのなかで『The New Straits Times』と『The Star』だけ説明します。

 

『The New Straits Times』は1845年にシンガポールで創刊された『The Straits Times』から派生した新聞です。『The Straits Times』はシンガポールに本社を置き、マレー半島全体に新聞を発行していました。1963年にシンガポールがマレーシア連邦に参加すると、『The Straits Times Malaysia』というのを発行していましたが、その2年後にシンガポールは離脱。これに伴い、『The Straits Times』はそのままシンガポール国内だけの新聞になりました。『The Straits Times Malaysia』はそのまま発行していたのですが、本家『The Straits Times』と合意して、1972年に現在の名称に変更したのです。

 

また、『The Star』は、今でこそ大手新聞ですが、1971年にペナンだけの地域新聞として発刊。徐々に市場を拡大していき5年後には本社をクアラルンプールに移して全国紙となりました。1980年代にはラーマン初代首相がコラムを書き続け、彼は当時のマハティール政権を批判する内容も書き、『The Star』は新聞自体の発刊停止処分を受けたこともあります。

 

多くの新聞が政府与党の傘下に入った

 

ここで気をつけなければいけないのは、1969年の人種暴動後、どの新聞も政府与党の傘下になったことです。その後言語に関わりなく新聞は、1970年代以降は政府の意向に沿った記事が発行され続けてきました。

 

『The Star』だけでなく、ほかのほとんどの新聞も一時発刊禁止処分を経験しています。記事内容が政府の意向に沿わない場合や民族感情を逆立てる場合に問題になるのです。この点において欧米から言論の自由の弾圧と批判されるのですが、欧米とは違った多民族国家であるマレーシアの難しいところなのです。

 

さて、最後に政権交代となってそれまでの与党傘下となった新聞はどのような状態になったのでしょうか。

 

昨年5月から新聞論調や記事などを読んでいますが、面白いことに出資元である野党に気を使うことなく、政府の意向に沿った記事を掲載しています。新聞社は出資元も重要であることは認識しているようですが、出版許可をはく奪されることは生きる活路を絶たれることでもあり、背に腹は変えられないようです。

 

しかし、野党はもはや新聞社に出資しているほど体力がありません。

 

現在のところ、『星州日報』や『南洋商報』はマレーシア華人協会(MCA)傘下になりますが、所有ビルの売却と本社の移転を検討しているという報道が出ています。また、新聞ではありませんが、統一マレー人国民組織(UMNO)は大手テレビ局運営のメディア・プリマの全株式を政権交代後にDRBハイコムなどを所有するアルブカリ・グループのシェド・モクタルに売却しました。野党は資金不足でメディアを手放しつつあります。この傾向は今後も広がるでしょう。

 

では、与党政府がこれらメディアを傘下に入れるのでしょうか。おそらくそれはないでしょう。というのも、新聞自体の売れゆきがよくなく、老舗の『Malay Mail』は紙媒体をやめてオンライン配信だけになりましたが、おそらく今後他紙も同様の道を歩むとみられます。ソーシャルメディアなど誰でもニュースを配信できるようになった時代、もはや新聞は「過去の遺物」になりつつあります。

 

与党も野党からの出資がなくなれば、誰の気兼ねもいらず、政府を監視する「第4の権力」として自由に報道できることになります。しかし、新聞離れが激しい状況をみると、生き残れるかどうか、マレーシアのどの新聞社も試練の時代に入っているのです。

 

伊藤充臣■在馬歴14年目。マラヤ大学人文社会学科歴史学科で修士と博士号を10年がかりで取得。趣味は読書と語学。専門の東南アジアを極めるため、最近ではクメール語に注力している。

 

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