マレーシアで鍛えられる日本人の「コミュ力」

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モナッシュ大学マレーシアの渡部幹先生による連載第二回。グローバル化が叫ばれる中、日本人のコミュニケーション能力の弱さがしばしば話題になります。京都大学、早稲田大学を含み、日米アジアを見て来た先生に、日本人はなぜコミュ力が弱いのか、それがなぜマレーシアにくることで鍛えられるのかを教えてもらいました。

 

日本人はなぜコミュニケーション力が弱いのか

 

ある有名な心理学実験がある。
「『私は○○です』という文を20個思いつくままに書いてください。制限時間は10分です」
というものだ。もし興味があれば、やってみてほしい。20個とは言わない。5個分くらいでもよい。

 

 これを日本人が行った場合、「○○社の社員」「○○学校の学生」といった「所属」、または「○○の親」「○○の課長」などという「役割」が最初にくることが多い。同じテストをアメリカでやると、「私は優しい」「私は情熱的だ」といった「個人の特徴」が最初に来ることが多い。

 

 これは無意識の中の「自分のアイデンティティ」を見つけるテストだ。所属や役割を最初に書く人は、自分を所属や役割で定義している。「一流会社の社員」や「有名大学の学生」、「商社マンの妻」などと最初に書く人は、そのステイタスを失うと、大きな不安を抱くだろう。自己のアイデンティティが失われるからだ。

 

 そしてそういう人は、他人を見る場合も、所属や役割で見ることが多くなる。その人がどんな会社に勤めているか、あるいは旦那さんはどんな人か、どんな学校を出ているか、などで人を判断しがちになる。

 

肩書きを見る日本人、相手の本質を見るマレーシア人

 

 逆に個人の特徴をアイデンティティとしている場合はどうだろう。個人の特徴なのでアイデンティティを失う危険は自分の日常の行動にある。例えば「自分は仕事ができる」と思っている人が、仕事でミスをすると、それはアイデンティティの危機に直結する。すると、必死にミスしないように学習し、勉強しようとするか、他人のせいにしたりして、アイデンティティを守ろうとする。
 そういう人は他人を見る場合も、相手の所属ではなく、特徴を知ろうとする。相手の人間性を見るのだ。

 

 実は、日本企業がグローバリゼーションの中、苦しんでいる理由のひとつは、このアイデンティティの違いにあると、私は考えている。日本人は他人とコミュニケーションするとき、相手の本質を知ろうとするより先に、相手の所属や人間関係に目が向く。それは本当のコミュニケーションを妨げる場合がある。

 

相手の地位や所属に惑わされず、本質的なコミュニケーションをして相手の人間性や能力を見ぬくための下地が弱いのだ。

 

日本企業が求人の際、望ましい特性に「コミュニケ―ション力」を求めることが多いが、こういった特徴がある限り、なかなか難しいだろう。だが、マレーシアに住み、子供たちをマレーシアの学校に通わせていると、欧米型のコミュニケーションが必要となることを痛感する。

 

多人種多宗教の上、共通コミュニケ―ション言語が第二外国語の英語しかない環境では、相手の所属や人間関係を知ったところで、あまり参考にはならない。今目の前にいる相手をその場で知る必要がある。

 

マレーシアで暮らすことは、大人も子供にとっても、日本ではなかなか身に着かないコミュニケーション力(+英語力)を身に着けるチャンスがあるということだ。日本人同士で親交を深めるのはもちろん良いことだが、地元の人々と積極的に知り合うことが、思わぬ宝をもたらすかもしれないと思っている。

 

渡部 幹(わたべ・もとき)
モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授
 
UCLA社会学研究科Ph.Dコース修了。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。現在はニューロビジネスという大脳生理学と経営学の融合プロジェクトのディレクターを務めている。社会心理学を中心として、社会神経科学、行動経済学を横断するような研究を行っている。また2008年に共著で出版した講談社新書『不機嫌な職場』が28万部のヒットとなったことをきっかけに、組織行動論、メンタルヘルス分野にも研究領域を拡げ、企業研修やビジネス講師等も行っている。
代表的な著書に『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(共著、講談社刊)。その他『ソフトローの基礎理論』(有斐閣刊)、『入門・政経経済学方法論』、『フリーライダー あなたの隣のただのり社員』 (共著、講談社)など多数。

 

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