「貧富の差」が食べ物に与える影響とは

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今回は趣向を変えて「食べ物」から文化背景をみてみよう。マレーシアの食べ物は美味しいと言われるが、実際にこの国にきて驚くのは食べ物の多様性もハンパないことだ。日本料理はもちろん、中東料理からロシア料理まで楽しめるこの国で、食べ物と文化について渡部先生に解説してもらおう。
 
筆者の大学院時代の恩師でアメリカ人社会学者の教授は、
 
「僕は海外にいったら、出されたその国の料理は、必ず食べることにしている。その国の食事に手を付けないってことは、その国の文化を否定していることになるからね。口に合わなくても必ず食べるんだ」
 
と、話していた。彼は、両親がスペインから移住してきたスペイン系アメリカ人で、その両親の故郷が、美食で有名なスペインバスク地方だった。小さなころから、バスク仕込みの母親の料理を食べてきた彼は、ものすごいグルメだったが、決して好き嫌いせず、いろいろなものを食べてきた。
 

カトリックとプロテスタントで料理の味が違うのはなぜか

 
その彼が話していたのは、キリスト教圏では、歴史的にカトリックが優勢だった国の方が、プロテスタント優勢の国よりも圧倒的に美味しいという感想だった。
 
例えば、欧米では、ベルギー、フランス、イタリア、スペインの料理は、イギリス、ドイツ、オランダ、アメリカあたりよりも美味しいという。筆者の経験から言っても、それは当たっていると感じる。
 
なぜ、カトリックの方が美味しいのか。これは筆者の推測だが、教会と王に権力が集中し、一部のものが巨万の富と贅沢を享受できたカトリックの国々では、彼らの贅を戒める宗教的制約はなかった。したがって、彼らは徹底した贅沢の試行錯誤を行うことができた。例えば、寒いロシアでは料理がすぐに冷めるので、一皿ずつ順に出すという手法が発明されたが、それを寒さ対策ではなく、料理をよりおいしく食べるために輸入し、発展させたのがフランス料理のコース形式だったりする。
 
対して、プロテスタントでは、清貧を旨とし、贅沢を禁じた。生きるためではなく、快楽のために食事をすることは、教義に反することだった。おかげで、外食文化は発達せず、昔のオランダではレストランはほとんどなかったという。今でもイギリスの料理のまずさは笑いの種にされたりする。
 
カトリックのように、富と権力の集中により、文化が爛熟するような社会背景でこそ、(皮肉にも)料理の質もあがるのではないかと筆者は考えている。
 

アジアの食べ物が美味しい理由

 
では、翻ってアジアではどうか。先に挙げた筆者の恩師は、「アジアは料理が美味しい!」といつも言っていた。一度日本に招待したとき、和食屋で北海道産のボタンエビの刺身を食べて「こんなにうまいものは食ったことがない!」と興奮した3日後に、神戸牛のステーキを食べて、あまりのおいしさに呆然自失している彼を見ていたのは、いい思い出である。日本料理に限らず、中華料理、韓国料理、ベトナム料理、タイ料理も彼は好きだと言っていた。
 
中国をはじめ、アジア諸国もカトリックと似たような、「文化の爛熟」が起こったことは歴史を見ればわかるだろう。特に中国では、始皇帝が専属料理人に「いままで食べたことのないようなものを食べさせよ」と命じた後、料理人は自分の子供を料理したなどというグロテスクな逸話も残っている。
 
このことが本当かどうかはともかく、料理と食の膨大な試行錯誤を重ねた末に、美味しいものだけが受け継がれる。今でも筆者は、ピータンの製造法を最初に考えた人は、どんな発想をしていたのかと理解に苦しむくらいだ(ピータンは大好きだが)。
 
ここマレーシアでは、食のバリエーションの豊富さで言えば、世界有数だと筆者は感じている。多分、東京が世界一だと思うが、アジア料理に限って言えば、KL周辺がバリエーションでもコストでも勝っていると思っている。
マレーシア自体が胡椒やナツメグなどのスパイスの産地である他、インドやインドネシアなど他のスパイス産地が近くにあり、古くからマラッカ王国として世界の貿易拠点として栄えてきたマレーシアは、世界のスパイスや調味料が手に入りやすい環境にあった。加えて、明との交易、植民地としてポルトガルの文化も輸入された経緯もあるので、食の交差点として、世界でも有数の場所なのだと思っている。
 
街を歩いていても、中華、マレー、タイ、ベトナム、韓国、日本などのアジア料理の良質な店はどこにでもあるし、探せば欧米の料理の素晴らしいレストランもある。
 
そして、重要なのは、それらの料理が残っているのは、多様性を認める文化だから、という背景があることだ。台湾に出張に行ってきた友人が、「台湾料理はおいしかったけど、台湾料理以外の選択肢がないのがつらかった」と話していた。さまざまな文化的背景を持つ人が、それらを持ったまま暮らせる土地かどうか、というのが「料理の生き残り」に重要な役割を果たすのだと筆者は思っている。
 
そう考えると、私たちは、世界の(特にアジアの)食を知ることのできるペストプレイスにいるのかもしれない。そしてその国の食を知ることは、その国の文化を知る第一歩だ。
 
辛すぎると感じるサンバルも、甘すぎると感じるティータリックも、皆背景にそうなった理由があるはずである。そんなことを考えながら、いろいろな料理に挑戦する楽しみがこのマレーシアにはある。
 
 
渡部 幹(わたべ・もとき)
モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授
 
UCLA社会学研究科Ph.Dコース修了。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。現在はニューロビジネスという大脳生理学と経営学の融合プロジェクトのディレクターを務めている。社会心理学を中心として、社会神経科学、行動経済学を横断するような研究を行っている。また2008年に共著で出版した講談社新書『不機嫌な職場』が28万部のヒットとなったことをきっかけに、組織行動論、メンタルヘルス分野にも研究領域を拡げ、企業研修やビジネス講師等も行っている。
代表的な著書に『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』(共著、講談社刊)。その他『ソフトローの基礎理論』(有斐閣刊)、『入門・政経経済学方法論』、『フリーライダー あなたの隣のただのり社員』 (共著、講談社)など多数。
 

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