【ファモサ要塞跡 サンチャゴ砦】A’ Famosa/Porta de Santiago
マラッカを見守り続けるサンチャゴの砦
マレーシアでも最も大切な歴史遺産の一つと言えば、このサンチャゴ砦。
地元の人が「エーファモサ」と呼ぶこちらの観光スポットは、
国内はもちろん、海外からの修学旅行生もマラッカに来たら必ず立ち寄るスポットです。
マラッカを植民地化し、こちらの砦を最初に築いたのはポルトガルでした。
当時ポルトガルは、艦隊を率いてマラッカ王国を攻撃。
マラッカを占領したその年、サンチャゴ砦を建築したのです。
今では街の中にある様に見えるサンチャゴ砦ですが、
これは本来海岸線に張りめぐされた5mの城壁を守るためで、
今残っているのはその時に作られた4カ所の通用門の内の一つです。
今では埋め立てにより海だった面影はないのですが、
当時この辺りは海だったんですね~。
元々城壁があった部分は1795年に英国が撤去しましたが、
一つは後世に伝える大切な資料として、一つの門だけが残されたのです。
その後1641年、マラッカは再びオランダ東インド会社に征服され、
この砦はオランダ東インド会社によって利用されるのです。
植民地になった経緯と歴史を見るだけでも、いかに当時マラッカが
重要な貿易拠点として活躍していたかが解ります。
マラッカとはイコール植民地の歴史でもあります。
1824年の英蘭協約では、マラッカ海峡より西はオランダ領
東側が英国だった事もあるそう。
マラッカはマレーシア連邦政府の独立までに
1511年~ポルトガル
1641年~オランダ東インド会社
1795年~イギリス東インド会社
1941年~1945年の第2次世界大戦終戦までは日本に。
と、実に 様々な国に占領されていたのですねぇ。。。
今ではこちらのファモサ砦の元に、世界中の人が集まって来ます。
中では歌うたいが歌を歌い、画家がマラッカの町並みを描いてはそこで売っています。
日本だった事もあるマラッカ。
その中でも是非訪れたい、歴史あるスポットです。
【ファモサ要塞跡 サンチャゴ砦】A’ Famosa/Porta de Santiago
Jalan Kota Melaka,
※オランダ広場から川を辿って徒歩でも行けますが、通常オランダ広場から
トライショーに乗る際に連れて行ってもらえます。
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