【マラッカ セントポール教会】 Melaka st paul church

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マラッカの歴史の面白さがいっぱい!セントポール教会
 
マラッカ王朝が占領され、ポルトガルの手に渡ってしまったのは1511年、
今までは平和的に交易で交流していたポルトガルでしたが、
マラッカの貿易拠点としての魅力に侵略を考えます。
結局16隻の大艦隊を率いたポルトガル軍は10日間マラッカを包囲、
当時ムスリム国家だったマラッカをその手中におさめました。
その後1521年にセントポール教会は、ポルトガルの指揮によって建築。
当時マラッカで布教を行っていたのは「イエズス会」のフランシスコザビエルで、
ザビエルは1545年〜1552年もの間、極東アジアの布教責任者として度々こちらに
訪れては布教活動を行っています。
 
こちらの教会の一角には、大きな檻の様な物が設置されていますが、
これはフランシスコザビエルが殉教した後、インドのゴアに運ばれるまでの
9ヶ月間、遺体が安置されていた場所。
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そのためカトリック信者にとっては非常に重要な場所で、いまでもカトリック信者が
大勢訪れます。
当時教会のメインホールだった辺りは、今では壁を残すのみ。
壁際には墓石が設置されていますが、実はこれ、カトリック信者の 墓石ではなく、
プロテスタント信者のお墓だそう。
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1957年、豊かな貿易港となってしまったために侵略の歴史となってしまった
この地も、マラヤ連邦として独立を果たします。
 
マレーシア政府はその後この丘に知事の公邸を建て、
当時その辺りに点在していたプロテスタント教徒の墓を撤去すると宣言しました。
当然信者達は抗議をしますが、政府側は変わりの地を用意する事もありません。
その時教会に墓石の設置を提案したのはカトリック教徒でした。
あらためて植民地の順番を追ってみると、ポルトガル=カトリックですが、
その後に植民地を統括するオランダ/イギリスはプロテスタントです。
オランダがマラッカを統治して以来、カトリックは勢力をなくし、
この教会もメンテナンスがされなかったために朽ち果てかけていたのですが、
 いざプロテスタントが困っている時に手を差し伸べたのはカトリック信者
だったんですね。
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ここはマラッカの丘で、町並みも景色も非常に美しい
夕方になると街がオレンジ色に染まり、非常にロマンチックな場所。
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マラッカ見物には欠かせない見所の一つです。
 
【マラッカ セントポール教会】 Melaka st paul church
Jalan Kota, Bandar Hilir, 75000 Malacca
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