【ポートディクソン】ラチャド岬灯台
ポート・ディクソンの「ラチャド岬灯台」はただの灯台ではない。マレーシア最古の灯台で、さらに周辺海上は戦地でもあった。(マレーシアマガジン=かりわめぐみ)
ヌグリスンビラン州、ポートディクソンのタンジュン・トゥアンビーチにある「ラチャド岬灯台」はマレーシアの歴史を知るうえで重要な史跡である。マレーシア国内最古の灯台にして、周辺はマレーシア最大の海上交戦「ラチャド岬海戦」の戦地であり、マラッカ建国の王「パラメスワラ」が埋葬された場所として信じられている。その歴史はポルトガルによる統治時代の16世紀にさかのぼる。
ラチャド岬周辺は、歴史上、重要な拠点だった
マレー半島は、ポルトガル、オランダ、イギリス・日本によって支配されていた歴史がある。その理由は海上交易上、とても重要な場所に位置するためだ。当時の航海は、モンスーン(季節風)を利用した何か月にも及ぶ長いもの。寄宿地や補給地として有利な場所にあるのがラチャド岬の東に位置するマラッカ王国であった。
ラチャド岬灯台
1511年、ポルトガルによってマラッカは陥落。その後、ポルトガル人は、マラッカの狭い海峡で船を導くための灯台を建設したいと考え、この場所に「ケープ・ラチャッド(ポルトガル語で”壊れた岬”)」を建設した。ポルトガル政府によって1528年から1529年の間に最初の土台部分が建設され、その後増設。1641年にオランダ、1824年にイギリスへと所有権が渡った。国内最古の灯台と考えられているが、初期の歴史は大部分が未検証のままである。
現在の灯台はまるで砦のような作りになっている。石垣と壁は白塗り。1863年にベース部分、二階建ての監視者(キーパー)の家が建設された。両方で24メートル(79フィート)の円柱状の塔で構成される。1990年に完成した追加のタワーは鉄筋コンクリートでできている。建造物の最上部にはマラッカ海峡の船舶交通を監視し、通信を補助するために設計されたMEASATレーダーを保持している。
ラチャド岬海戦
ラチャド岬灯台のある海域一帯は、1606年の「ラチャド岬海戦」の古戦場である。ラチャド岬の海戦は、オランダ – ポルトガル戦争の一部で、戦いは1606年8月16日から18日の3日間に渡った。
この海戦は、オランダ東インド会社(VOC)とジョホール連合による、マラッカ奪還作戦の一部だ。VOCの船「ナッソー」と、ポルトガル船「サン・サルバドル」の2隻の艦隊が、激しい戦いを繰り広げた。これはマレー半島での最大の海軍戦闘として有名だ。1511年、1606年、1641年の3度にわたる抵抗の後、最終的に1641年、ポルトガル軍の降伏で戦いは終結した。ナッソーから回収された工芸品のいくつかは、ポートディクソンの町にあるルクート美術館で展示されている。
ポルトガルは、当時マラッカ海峡でのスパイス交易での独占権を持っていた。オランダが東へ航路拡大するためには、このポルトガルの独占権を無力化する必要があった。
オランダは、マラッカを追われたジョホールの王に同盟期間の交渉を持ちかけた。そして、1606年5月17日に正式にジョホールはオランダ人と共同でポルトガル人をマラッカから追放する協定に合意した。
マラッカ建国の王最後の地
また、タンジュントゥアンは、マラッカの創設者であるパラメスワラが埋葬された場所であると信じられている。(パラメスワラは、シンガポールのBukit Larangan Parkにも埋葬されていたという主張がある)
森林保護区
灯台の足元に広がる森林保護区。NPOの「バードライフインターナショナル」によって、貴重な鳥類地域として指定されている。毎年3月に開催されているガイド付きのウォークラリー「ラプターウォッチ」は、マレーシアで最大のエコツーリズムイベントとして知られている。
ラチャド岬灯台
営業時間:月曜日から日曜日の午前7時から午後6時
入場料:RM 1