起業 – マレーシアマガジン https://malaysia-magazine.com マレーシアマガジン - マレーシア移住のための情報サイト Fri, 10 Apr 2020 08:05:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.5.1 https://malaysia-magazine.com/wp-content/uploads/2019/12/cropped-siteicon-1-32x32.png 起業 – マレーシアマガジン https://malaysia-magazine.com 32 32 169505575 マレーシアを拠点にしてアジアを制する!海外起業の魅力 https://malaysia-magazine.com/job/column/48188/ https://malaysia-magazine.com/job/column/48188/#respond Fri, 14 Feb 2020 01:37:12 +0000 http://malaysiamag.xsrv.jp/?p=48188 今東南アジアでの起業がアツい? 国内だけでなく世界へと進出する日本の企業は数多くあります。

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今東南アジアでの起業がアツい?

国内だけでなく世界へと進出する日本の企業は数多くあります。
そんな中進出する企業が多い地域として東南アジアが挙げられます。
では何故東南アジアへ進出する企業が多いのでしょうか?
詳しく見ていきましょう。

東南アジアに進出する企業が多い?

近年新たな市場として東南アジアが全世界から注目されています。
事実東洋経済の調査によると2005年以前に比べると現在東南アジアに進出している企業の数は倍以上まで増えています。
中でも日本企業の東南アジア進出は顕著で、2016年の時点でインドネシアで1810社、マレーシアには1362社、タイには1783社といったようにかなり多くの企業が東南アジアに支部を構えているのです。
東南アジアには親日家の国も多く、日本企業としてのブランドが最大限活きるというのもこれだけの企業が進出している理由の一つとなっています。

特にマレーシアに進出する企業は多い?

多くの外資系企業が東南アジアに進出している中、近年マレーシアに進出する外資系企業が多くなってきています。
その中にはもちろん日本の企業も多いです。
マレーシアは先進国入りを目指すため、外資系企業を誘致するような政策をとっており、それに乗って外資系企業が進出するのです。

マレーシアは外資系企業に寛大?

マレーシアに進出する企業が多い理由の一つにマレーシアが外資系企業に寛大な政策をとっているということが挙げられます。
マレーシアでは基本的に外資に関する規制がほとんどありません。
2009年にサービス産業の自由化が発表され、それまで行ってきた外資系企業に対する規制を大幅に緩和しました。
一般的にマレーシアでは外資出資比率の上限を30%〜49%までに制限する規定があります。
しかし製造産業、流通・サービス業では1部を除き100%の外資が認められているのです。
そのため外資系企業が活躍しやすく、マレーシアとしても国力増強の後押しとなります。

マレーシアの市場は拡大する見込みがある?

マレーシアは2015年の時点で人口が約3000万人ほどと決して大きな国ではなく、市場としても目立った様子はありませんでした。
しかし若者が大変多く、出生率が非常に高いため綺麗な人口ピラミッドが形成されており、今後の人口増加が見込まれています。
それと同時にGDP(国内総生産)の数値も年々上昇傾向にあり、マレーシア国民がだんだん豊かになってきているということが分かっているのです。
国民が豊かになるということは購買力が高まるということなので、商品が売れやすいということになります。
そのため近年マレーシアは将来的に伸びるであろう市場として非常に魅力的だと感じる企業が多くなっているのです。

マレーシアを拠点に起業する魅力とは?

海外で起業する際、東南アジアがオススメだということについて解説してきました。
その中でも特にマレーシアは起業するには最適な国で、進出する日本企業も近年ではかなり増えています。
ではマレーシアで起業することについてどのようなメリットがあるのでしょうか?
マレーシアを拠点に起業する魅力について解説していきます。

アジア近隣諸国へのアクセス

東南アジアの中心部に位置するマレーシアはアジア近隣諸国へのアクセスが抜群に良いということが魅力となっています。
東南アジア近隣諸国にマレーシアから行く際の時間を大まかにまとめてみました。

国名 移動時間
カンボジア 約1時間45分
インドネシア 約1時間
タイ 約1時間
ベトナム 約1時間45分
シンガポール 約1時間
フィリピン 約4時間
ミャンマー 約2時間半
ブルネイ 約2時間
ラオス 約2時間半

以上がマレーシアのグアランプール空港から東南アジアの近隣諸国まで行く際にかかる時間です。
ほとんどの国が2時間程度で移動することができます。
これにより他の国に支店を立てようと思った際に会議がかなりしやすいです。
またマレーシアの国際空港グアランプール空港からは多くの格安航空が運行しており、他国へ出張する際もかなり安い費用で出張することができます。
もちろん日本からも行きやすいのでかなり便利な立地であることは間違いないでしょう。

日本との時差

マレーシアは日本との時差が1時間ほどしかないため、マレーシアに移住してもさほど日本と変わらないような生活リズムで暮らすことができるでしょう。
ヨーロッパなどで生活していると日本とはかなりの時差があるため、時差ボケを起こしたり、生活リズムが大きく崩れて体調を崩したりと様々な障害があります。
マレーシアで起業すればそのようなことは起こらないので、ほとんど日本と同じような環境で起業することができます。

シンガポールや香港と比較される節税効果

日本では企業に対し、稼いだ分に応じてかなり莫大な税金の支払い義務が生じます。
そんな日本の企業の中には税率の低い地域に移動したり、移住したりして収める税金の額を抑える手法を取ったりするのです。
税率が低い地域としてはシンガポールや香港などが有名でしたが、近年マレーシアも注目され始めています。
マレーシアにあるラブアン島という小さな島では税率の低い地域・タックスヘイブンとして知られています。
このラブアン島はビザの取得難易度が圧倒的に低く、日本人でもすぐに永住権が得られるビザを取得できるのです。
タックスヘイブン地域として知られているシンガポールでは永住ビザを取得する際2億円もの大金を用意し、ビジネスもしくはファンドに投資する必要があります。
香港でも同様に1億円もの大金を用意しなくてはなりません。
それに対してラブアン島で起業する際は就労ビザを取得し、資本金で300〜400万円の資本金を持っていればいいのです。
これだけで税率の低いラブアン島で起業できるのですからかなり進出しやすいと言えるでしょう。

会社を設立するハードルが低い

ここまで見ているとマレーシアに起業するのは相当ハードルが低いということがお分かり頂けるでしょう。
マレーシアは日本よりも物価や人件費がかなり安く、固定費を抑えた状態で営業していくことができます。
そのため資本金が少なくて済むので、日本で起業するよりもより手軽に起業することができます。
また東南アジア近隣諸国にも行きやすく、地域によっては税率もかなり低いため、マレーシアだけでなく他国への進出もできるのです。
このような要因からマレーシアは会社を設立するハードルがかなり低い会社だと言えるでしょう。

まとめ

ここまでマレーシアをはじめとする海外起業の魅力について解説してきました。
近年東南アジアに進出する日本企業がかなり増えてきており、まだまだ市場が拡大する見込みのあるマレーシアはビジネスチャンスの宝庫とも言われています。
もし起業をする意思があって迷っているという方は、この記事を参考にマレーシアでの企業を検討してみてはいかがでしょうか?

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エシカル・ビジネスにこだわる女性起業家、エレイン・ホン・後編 https://malaysia-magazine.com/job/column/40729/ https://malaysia-magazine.com/job/column/40729/#respond Mon, 13 May 2019 02:51:27 +0000 http://www.malaysia-magazine.com/news/?p=40729   マレーシアのエシカル・ビジネス起業家のエレイン・ホン。パリで学び、パリ・ファ

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マレーシアのエシカル・ビジネス起業家のエレイン・ホン。パリで学び、パリ・ファッション・ウイーク、ロンドンの著名デザイナーの下で修業を積み、ついに世界的有名ブランドでの職を得る。あるデザイナーズブランドを支える諸外国における深刻な労働問題を知り、精神的に病みかけるが、マレーシアでビジビジ・イニシアチブと出会い、新たな拠りどころを見出す。(マレーシアマガジン=渡部明子)

 

マレーシアのエシカル・ビジネス起業家のエレイン・ホン。10歳からの夢を実現し、ファッションデザイナーの道を歩み始めた。パリで学び、パリ・ファッション・ウイーク、ロンドンの著名デザイナーの下で修業を積み、ついに世界的有名ブランドでの職を得る。ところが、とあるきっかけでデザイナーズブランドを支える諸外国における深刻な労働問題を知り、精神的に病みかける。当時、マレーシアで唯一のエシカルファッションを扱うビジビジ・イニシアチブと出会い、新たな拠りどころを見出した。

 

前編はこちらから。

 

日馬60周年事業をきっかけに独立

 

いつかは自分のブランドを持ちたいと願いつつも、その構想ははっきりせず、かつ、ビジビジに満足していたエレインに、大きな転機が訪れる。

 

2017年。ビジビジは日本の着物会社から500キロの着物を譲り受け、「ビジビジ×nakakomaレーベル」を立ち上げ、日馬60周年記念事業の一翼を担う。それまではシートベルト製バッグのデザイン・制作がエレインの主な仕事だったが、アンティークの着物からドレス類を創出することとなった。

 

 

「寄付された着物や帯はすべて、職人の魂を見るようでした。見たこともない美しさと見事な技術。とりわけ手縫いの技術に驚嘆しました。日本の着物職人の姿が脳裏に浮かぶこともあり、自分の手でアレンジしてよいのかと震えました」。着物職人の魂を汚すことなく作品を作ろうと、自分を鼓舞し続けたという。結果、着物ドレスらは大きな評判を呼び、新レーベルの売り上げは、ビジビジ過去最高を記録した。

 

一方、彼女の心の中では、本物の職人の仕事を目の当たりにしたことで、自分のブランド構想が明確となる。
「すべて自分の手で、金属パーツをなるべく用いない独自の服を、エシカルに、丁寧に作りたい」。2018年初頭、独立を決意。ブランドChaptersが誕生する。

 

大量生産服とエシカル・ブランドはどう違うのか

 

生地の専門家でもあるエレインならでは、Chaptersの服はすべて、肌に優しく穏やか。化学薬品を使用していないのはもちろん、染料にもこだわり、当地の気候にベストな素材を用い、フォーマルにもカジュアルにも着こなせるデザインだ。実際に着てみたが、袖を通すと心地よく、また、一見直線的なフォルムながら、緩やかにボディラインに沿い、お洒落に着こなせるから不思議だ。

 

 

とりわけ黒色の服は、大量生産服と異なり、同じ黒色でも深さと品がある。「薬品を用いずに黒色を定着させるためには、優れた染料、技術、時間を要しますから」。しかし、同系色の服、同系デザインの購入を考慮する消費者は、少しでも安い服を購入しようとする。

 

「エシカルというだけでは購入してもらえず、『肌を痛めません』ではアピールできません」。素材にこだわり、自らデザイン、生地をカットし、1着1着丁寧にミシンを踏むChaptersの服は、大手量産型ブランドと比較すると、値段が割高となる。良い作品を生み続けるには、売上が必要。結果としてブランディングとマーケティングに切磋琢磨しなければならず、制作に手が回らなくなるというジレンマサイクルに陥る。

 

新たなエシカル・ビジネスを起業

 

資金を得るため、ビジビジとの二足のわらじという選択肢もあった。しかし、ふとしたきっかけで、新たなビジネスをスタートする。

 

エレインは毎月、月経に伴う諸症状に苦しんでいた。婦人科医に相談したところ、「匂い防止用の香料を含む生理用品を使用しないこと。また、接触面がプラスチック製、中にビーズを含む品は使用しないことをお勧めします」とのアドバイスを受ける。布製製品も検討したが、使用に二の足を踏む。ボーイフレンドから、「じゃあ、自分で作ったら?」と声をかけられ、はっとする。「皮膚に安全な服が必要なら、皮膚に安心な生理用品も必要ではないか。自分のためだけではなく、他の女性にとっても、より良い選択肢を提供すべきではないか」。

 

試行錯誤を踏まえ、接触面にはドイツ製のオーガニックコットン、中間層には日本の最新テクノロジーシート、下層には通気性の高いシートを用いた生理用品、「enya」が完成した。

 

「コストの面から、製品の一部にプラスチックを使用しています。しかし、多くの方々が使用するようになれば、より良い原材料を使用し、かつ、価格を据え置くことができます。まだ完璧な品ではありませんが、確実に良い品であると自信を持っています」。

 

 ロングタイプ6個、ノーマルタイプ6個の合計12個入り1箱RM18リンギでテスト販売を始めたところ評判がよく、今後は、1箱RM10リンギでの販売を決定した。

 

 

「enyaが軌道に乗れば、Chaptersの新作にも着手できます」とエレインは期待する。
 エシカル・ビジネスの道は簡単ではない。良い企業、良い品というだけでは、消費者の心はつかめないからだ。しかし、「若い世代が、より良い選択肢を提供しなければならない」と、才能とパワーを秘めたエレインは熱く語る。

 

アパレルブランドChapters :https://www.facebook.com/chaptersclothingofficial/
オーガニックコットンの生理用品enya:http://enya.my/

 

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エシカル・ビジネスにこだわる女性起業家、エレイン・ホン・前篇 https://malaysia-magazine.com/job/column/40705/ https://malaysia-magazine.com/job/column/40705/#respond Mon, 13 May 2019 02:31:27 +0000 http://www.malaysia-magazine.com/news/?p=40705   マレーシアの若手起業家はどのように活躍しているのだろうか。今回は、社会起業家

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マレーシアの若手起業家はどのように活躍しているのだろうか。今回は、社会起業家のエレイン・ホンにスポットを当てて、マレーシアの若い世代の考えに触れてみよう。前後編でお送りする。(マレーシアマガジン=渡部明子)

 

中華系マレーシア人のエレインは、10歳からの夢を実現し、ファッションデザイナーの道を歩み始めた。パリで学び、パリ・ファッション・ウイーク、ロンドンの著名デザイナーの下で修業を積む。世界的有名ブランドでの職を得る。ところが、とあるきっかけでデザイナーズブランドを支える深刻な労働問題を知り、精神的に病みかける。当時、マレーシアで唯一のエシカルファッションを扱うビジビジ・イニシアチブと出会い、新たな拠りどころを見出す。

 

 

筆者がエレイン・ホンと出会ったのは、今から3年前の2016年。エレインが、大手企業のデザイナー職を辞し、マレーシアの社会企業“ビジビジ・イニシアチブ”で、専属デザイナーとして勤務し始めたころのことだ。

 

ある日、ビジビジの主要商品であるシートベルト製バッグを購入するため、いつものように工房を訪れたところ、入社したてのエレインが応じてくれた。お気に入りのバッグを見つけ購入する筆者にエレインは、次のように声をかけた。

 

「厳重に検品していますが、もしパーツに不具合が生じたり、壊れるようなことがあったら、こちらにお持ちください。きちんと修理してお返ししますので、簡単に処分しないでください」

 

最後の一言に、深い意味と強い思いが込められていたことを知ったのは、彼女がビジビジから独立し、エシカルファッションブランド“Chapters(チャプターズ)”、さらに2つ目のビジネスである、オーガニックコットンを用いた生理用品会社“enya(エンヤ)”を立ち上げた後のことだった。

 

 華やかな経歴を有するエレインがエシカル・ビジネスにこだわる理由は何か。2回に分けてお伝えする。

 

大手アパレルのデザイナー時代に受けたショック

 

 エレインがファッションデザイナーになると決めたのは10歳のとき。大学ではファッションコースに進学。クアラルンプールならびにパリの大学?で、生地、デザインを専門的に学ンダ。パリ・ファッション・ウイーク、イギリスの著名デザイナーであるシャルロット・テイラーの下で修業を重ね、世界的有名ファッション誌が有するアパレルブランドでの職を得る。「もちろん、大手ブランドへの就職は嬉しかったです」とエレイン。

 

世界で展開する大手ブランドは、多彩なラインナップを有し、多くの作品が次々と展開されるため、倉庫には次々と在庫が積み上げられる。そのため、専門知識を持つ人たちはひと月に一度、「将来売れるもの、売れないもの」を判断・振り分ける作業に駆り出される。エレインも例に漏れず、振り分け作業を手伝うこととなった。

 

ビニール袋に入った服を一枚一枚取り出し、チェックするというこの作業。まずは、取り出した瞬間の化学薬品の臭いに、倒れそうになったと言う。「生地に濃い色を染め付けるのは容易ではなく、安価に仕上げたい場合、有害な化学薬品を大量に使用する手段を取るのです」。また、生産後、外気に触れることなく長期間袋に入ったままの服は、取り出して広げると、生地が簡単に裂けてしまうこともわかった。「すべて化学薬品のせいです」。
また、整理が進むにつれ、「将来売れない」と判断された服が山のように積み上げられていく。それらはバーゲン品として一度は店頭に並ぶが、そこで売れ残ったものは処分されることを知った。

 

 「生地に化学薬品を散布する工程について調べたところ、その映像に大きな衝撃を受けました。低賃金で働く労働者がマスク姿で作業しているのですが、マスクをしても、完全に吸引を妨げることはできません。また、それらの薬品が皮膚に付着した場合、日々の蓄積により、重大な健康被害を引き起こすこともわかりました」

 

さらには、バングラデシュで起きたRana Plaza事件、児童労働など、大手アパレルメーカーによる安価な衣服の生産背景にある数々の社会問題の実態を知る。以来、それらインターネット上の映像や、目の前に積み上げられる大量の処分品の様子が脳裏に焼き付き、エレインは、夜寝付くことが出来なくなったと言う。

 

エシカル・ビジネスへの道を自覚

 

 「自分のやりたかったことは、こんなことではないはずだ」。自問自答の日々。また、倉庫当番が回ってくる度に、心を殺すようになる。とうとうある日、「もう続けられない」と、勢いで上司に退職を宣言した。進むべき道はエシカル・ビジネスだと自覚する。「その頃、マレーシアでエシカルファッションビジネスを行っていたのは、ビジビジだけでした。すぐにビジビジ創業者に連絡、面接を受けたところ、即採用。本当にラッキーでした」。

 

 

 「いつかは自分のブランドを持ちたい」という思いを持ちつつ、ビジビジでは生きる道を見つけた喜びで大興奮の毎日だったとエレインは笑う。
 

 

 <日馬60周年記念事業をきっかけに、エレインはビジビジを独立する。後編に続く。>

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「Mall Dash」の開発者にインタビュー https://malaysia-magazine.com/job/column/39985/ https://malaysia-magazine.com/job/column/39985/#respond Mon, 01 Apr 2019 00:52:57 +0000 http://www.malaysia-magazine.com/news/?p=39985   ショッピングモール利用がより便利になる話題のアプリ「Mall Dash」。共

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ショッピングモール利用がより便利になる話題のアプリ「Mall Dash」。共同創業者Andrew Foo氏にインタビューを行った。(マレーシアマガジン =山下カイト)

 

アプリの詳細記事はこちら
マレーシア旅行・滞在を便利にするアプリ「MallDash」

 

ーー経歴を教えてください。
マレーシアで生まれ育ち、英国へ留学、ビジネススクールを卒業。そのままロンドンの投資銀行に4年間勤務しました。その後、マレーシアに帰国し、友人と共に「Mall Dash」を創業。2018年7月にアプリの配信を開始しました。

 

ーーマレーシアに帰国を決意したきっかけは?
マレーシアは発展途上で、たくさんのチャンスがあります。そこで、「自分はどのように社会貢献、問題解決ができるか」を考えました。そして、関心があった、金融・ショッピング・ファッション・フードの分野で起業することを決めました。

 

 

ーーアプリについて教えてください。
「ショッピングモールのGoogle」がキーワードです。ショッピング・モール内のナビゲーションはもちろん、検索機能やプロモーション情報などを搭載し、ショッピングモールのプラットフォームとして、あったらいいな、という「GOOD TO HAVE」のアプリから「MUST HAVE(なくてはならない)」のアプリ(なくてはならない)になることが目標です。

 

ーー今後の展望は?
国外展開を視野に入れています。もちろん日本も。日本には、2020年東京オリンピックに向けでのたくさんの外国人が訪日すると予想されています。外国人にとって買い物は言語的な問題などもあり容易なことではありません。こうした訪日外国人向けのサービスにも需要を感じています。そもそも、ショッピングモールが3000店舗以上あるという日本のマーケットは魅力的です。
また、「MUST HAVE」アプリになるために、予約や決済、駐車場やCCTVとの連携など今後とも機能を拡充し、より充実したサービスを展開していくことを検討しています。

 

ーー日本人に向けてのメッセージ
マレーシアにはまだまだたくさんの魅力があると思います。ぜひ、たくさんの魅力に出会うためマレーシアライフを謳歌してください。

 

新進気鋭の起業家といえる彼の人柄は非常に親切で、インタビューにも丁寧に回答してくれた。今後ともアプリの進化や彼の活躍に注目していきたい。

 


公式ホームページ
www.malldash.com.my

 

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廃材のシートベルトでバッグを作る! マレーシア発ベンチャーに人が集まる理由 https://malaysia-magazine.com/job/column/21940/ https://malaysia-magazine.com/job/column/21940/#respond Mon, 22 May 2017 01:09:23 +0000 http://www.malaysia-magazine.com/news/?p=21940   「シートベルト」「カーペット」「ドラム缶」などの廃材を利用して商品を作るーー

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「シートベルト」「カーペット」「ドラム缶」などの廃材を利用して商品を作るーーそんなベンチャーがマレーシアで今注目を浴びている。ユニークな思想に惹かれて、日本をはじめ世界中から若者が集まってくる「ビジビジ」を取材した。(文・写真=野本響子)

廃材のシートベルトで女性用のハンドバッグを作っている会社がある。それがマレーシア発の社会的企業「ビジビジ(Biji-biji Initiative)」だ。

最初は廃材の再利用から始まった

 
クアラルンプールの中心地近くの一軒家が、ビジビジのオフィス兼ラボだ。
 

 
彼らが手がけるのは「アップサイクリング」。リサイクルと違い、アップサイクルでは、廃材を拾って製品を作る。ドラム缶を使ったソファ、空き瓶を使った棚、古タイヤを使った椅子、そしてシートベルトのバッグーー彼らのアトリエには創造性溢れる品物が並ぶ。
 

 
ビジビジが手がける主な素材は「シートベルト」「バナー」「カーペット」の3つ。
 

もともとは2014年、ある会社から廃材となった「バナー」を使ってもらえないか、という依頼がきっかけだった。
マレーシアでは展示会などで毎回大きなバナーが作られるが、文字や絵が印刷してあり再利用ができない。期間終了後は廃棄処分となる。
 

 
当時のビジビジは同じコンドミニアムに住むマレーシア人やオランダ人、4人の若者が始めたスタートアップ。

 

 

会社として何をするかも決めていなかったが、まず、このバナーを切って縫ってバッグを作ることにした。
最初に集まった4人は元コンサル、ジャーナリスト、アーティスト、科学者。誰一人としてバッグを作った経験がない中、なんとか最初の製品化にこぎつけた。バッグとしても、吊り下げで書類ケースとしても使える。デザインは荒っぽいが、その後のバッグの原型となった。
次に手掛けたのがシートベルトを使ったバッグ「ザ・シートベルト・バッグ・シリーズ」だ。これは現在でも同社のヒット商品だ。

 

 
マレーシアはシートベルトの製造国だが、生産時に、車のモデルチェンジやベルトのよれ、汚れなどにより、使えないロットが出る。同社はこの未使用品に目をつけ、シートベルトを使ったバッグを考案した。シートベルトはそれぞれロットごとに微妙に色が違い、組み合わせによりバッグの色合いも一つ一つ違う。一見して、シートベルトを使っていることがわからないくらいだ。
 
さらに展示会で使うカーペットのフェルト素材を使った製品を作った。展示会のカーペットも、数日の展示期間が終われば廃棄される。このフェルト素材を何かに活かせないかというアイデアだった。
 
工程のいくつかでは、Gold Fundationという障害者が働く会社に生産の一部を委託した。
 
ボランティアとして参加し、エレトロニクス部門代表でエンジニアのマシューさんは、「コミュニティを助けるために障害者の会社と協力することにしました」と説明する。フランス人のマシューさんは最初ビジビジにボランティアとして参加、惚れ込んで社員となった。

 

 

「廃材を使っているのに価格が高いじゃないかと言う人もいる。僕たちは、利益の多くを職人に還元する。だから安売りはしません」と断言する。
 

「発明家の家」に世界各国から若者が集結

 
ビジビジの特徴は、その製品の完成度の高さにある。分厚いシートベルトやバナーを、たった一人の職人がていねいに手縫いする。たった一人なのは、彼と同じレベルで縫製ができる職人が見つからないためだという。
 


ビジビジはまるで「発明家の集まる家」のようだ。本社にはプロトタイプながら、自転車を漕ぐとスマートフォンを充電できる装置や、レーザーを使って音を鳴らす楽器まであった。販売したソーラーパネルや非常用ランプなども好評だった。誰かからアイデアが出ると、すぐに実験が始まる。可能性に対してNOを言わないのが彼らのやり方だ。

 

ビジビジの躍進に大手メーカーも注目する。例えば、ジーンズで有名な「リーバイス」はファッションショー・ステージなどの製作をビジビジに依頼。マレーシアの大手デベロッパーECO WORLDも彼らに注目、共同プロジェクトが始まっている。

 

現在では、フルタイムの社員が25人、インターンとボランティアが10ー15人と大きく成長した。

 

最近では、世界各国からビジビジの噂を聞いて若者たちが集まってくる。ワーキングホリデーやバケーションを利用し、専門技術を提供する。地元マレーシアの大学とも協力し、彼らの知識や技術を借りて、新しいことに挑戦したいと話す。地元のインターナショナル・スクールとも協業し、子供たちにワークショップを通じてアイデアを出してもらう試みも始まった。

 

 

 

取材当日、ペナンからきたというボランティアの一人は「ビジビジでの体験は素晴らしかった!」と興奮気味に話す。日本の東京大学の学生たちのインターンも決まっている。
 
2017年秋にはクアラルンプールの有名なモール「パブリカ」にワークショップなどのためのスペースを借りる予定もある。ワークショップではビジビジのバッグの作り方を教える。マシューさんは、「製品をコピーされたらどうするか? コピーしてくれて問題ない。作った製品はうちで販売することもできるよ」と鷹揚だ。

 
ビジビジでは事業のアイデアを独り占めするのではなく、アイデアをシェアし、広めて行きたいと考えている。「ビジビジ」とはマレー語で「種」の意味。あちこちでビジネスの「種」となり、世界を変えて行くのが目的だ。
 
日本とマレーシアの交流60周年を記念したプロジェクトも進行している。日本人に人気の高いシートベルトのバッグに、日本の古い着物の布を組み合わせて、和風のシートベルトバッグを作るというアイデアだ。マシューさんは、将来は日本の消費者も購入できるようにしたいと話す。
 
取材した日も多くの人がオフィスを訪れており、同社に対する注目の高さが伺えた。「まだまだブランドの力の強いマレーシアだが、日本の消費者に受け入れらることで、マレーシアの消費者への刺激となれば」とマシューさんは結んでくれた。

 


 

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「無料で僕を働かせてください!と店に直訴しました」 世界一の外国人和食シェフの意外な原点 https://malaysia-magazine.com/job/column/18569/ https://malaysia-magazine.com/job/column/18569/#respond Thu, 02 Feb 2017 00:34:01 +0000 http://www.malaysia-magazine.com/news/?p=18569 世界各国のシェフが和食の腕を競う「和食ワールドチャレンジ2016」で優勝したマレーシア人の

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世界各国のシェフが和食の腕を競う「和食ワールドチャレンジ2016」で優勝したマレーシア人のチョン・チェン・ロンさん。「和食ワールドチャレンジ」は農林水産省が主催した、世界各国の和食シェフのための日本料理コンテスト。26か国から205作品の応募があり、各国のシェフたちが和食技術を競うなか、マレーシアで学んだ和食で王座に輝いた。普段はクアラルンプールの鮨店「織部」でアシスタント・シェフを務めているチョン・チェン・ロンさんにインタビューした。(聞き手&翻訳 野本響子)
 

 
ーーなぜ日本料理のシェフになったのですか?
 
小さいころ「料理の鉄人」をテレビで見ていて、「なぜ生のものを調理せずに出せるんだろう?」と不思議でした。マレーシアと料理スタイルが違うことに興味を持ったのです。20年前、僕がいたジョホールバルでは、和食店はホテルに1、2軒あるくらい。今のようにポピュラーではありませんでした。僕も和食は食べたことがなかったのですが、面白いな、習ってみたいなと思いました。

 

■原点は「料理の鉄人」家族の大反対を押し切って料理人に
 
ーー学校でも料理を勉強したのですか?
 
学校ではホテル&マネジメントを学びつつ、日本食も出すマレーシア式のカフェで働いていました。しかし1学期終わったところで、学校をやめて料理人になることを決めました。家族全員がすごく怒りましたよ。貧乏だったのに、学校に行かせてもらっていたので。
 
最初のレストランでは中国人シェフの元で、中華、ウエスタン、日本料理と、キッチンヘルパーとしてなんでも担当しました。その後、21歳のとき、初めて日本人シェフのいる日本食レストランで働くことになったんです。
 
ーーどんな毎日だったのですか?
 
キッチンの清掃から始め、焼き物、揚げ物、丼、鉄板焼き、煮物、ラーメンと習い、良いトレーニングになりました。日本料理を食べるようになり、ラーメンが気に入り毎日食べていました。3年、ほぼ休まずに働きましたが、とても幸せでしたね。その後は2年、ビュッフェ式レストランで日本食のアシスタント・シェフとして働き、その次はYTLホテルグループのレストランで、日本人シェフに懐石料理を学びました。料理はシェフによってスタイルが違いますね。懐石料理の店では、シェフから特に「態度」を学びました。例えば、彼は100人のご飯を作るのに、わざわざ炊飯器ではなく小さい土鍋で何度も炊くのです。
 
ーー懐石料理も難しそうです。
 
しぐれ煮とか、角煮、揚げ煮など、それぞれ同じ煮物でも呼び方が違うのが難しいですよね。あと、味見が非常に大事であることも学びました。この懐石料理のレストランには3−4年いたのですが、怒られたことがないんです。よく日本のテレビではシェフが怒る姿を目にするんですけどね。
 
このシェフが店を去った後、自分のキャリアで悩みました。そんなとき、インターネットで、日本人シェフの鮨店がクアラルンプールにできることがわかりました。そこで直接「キッチンヘルパーはいりませんか? ただでもいいので、働かせてください」とお願いした。それが今のマスターシェフ折付秀明さんとの出会いでした。
 
ーー売り込んで働かせてもらった。

 

はい。そこで洗い物から初めて、キッチンヘルパーとして使ってもらいました。新たな環境で、自分をアップグレードしたかったんです。前の店の契約も残っていたので、午前中は鮨店で働き、午後は以前の和食レストランで仕事した。9ヶ月経って、ようやくフルタイムで鮨店に参加することになりました。

 

■「東京にただで行ける」と聞いて参加を決意

 

 
その後、シェフの折付さんが独立して作ったのが織部でした。そこで僕もフルタイムで参加することになりました。鮨を学びたかったんです。織部でアシスタント・シェフとして4か月働いたところで、今回のコンテストの話があり、参加することにしました。「参加してみたら? 東京にただでいけるよ!」って言われてね(笑)」
 
ーー他のシェフにも声がかかったのですか?

 

いえ、僕だけがマレーシア人のシェフだったのです。他は日本人ばかりです。だから、ときどき広東語が懐かしくなりますね。
 
ーーコンテストはどんな風に進んだのですか。

 

まず、最初にレシピを考えて送りました。自分の10年の経験を生かし、コピーではない自分の創作レシピで勝負しようと。お店が休日になる日曜日に毎回来て、あれこれ試作し、応募しました。コンテストには205人の応募があり、第一次予選を通過した20人に入ったと聞いたときにはびっくりしましたね。そして東京に行って決勝で料理を作ることが決まりました。「織部」のシェフたちも暖かく応援してくれました。
 
ーー日本は初めてでしたか。

 

大阪に行ったことはあったのですが、東京は初めてでした。新宿に宿泊し、伊勢丹で食材を仕入れました。けんちん焼きに使うのど黒、赤ムツ、人参、カボチャ、しいたけなどを買い込み、マレーシアから持って行ったクーラーボックスに保管しました。

 


 
コンテスト当日は2時間で合計8皿を作らなければなりませんが、普段とキッチンが違うので大変です。プランニングが最も大事だと思いましたね。なんとか「赤むつのけんちん焼き」を含めた全品を作り終わることができました。審査員からポジティブなコメントをもらい、ああ、これで十分だと思っていたら、取材していたカメラマンが「君にチャンスがあるかもしれないよ」というので驚きました。その後、本当に優勝したと聞いて、びっくりしたし、嬉しかったですね。
 

 

ーー優勝した後で、何か自分やお店に変化はありましたか。

 

お店のお客さんがいよいよ増えて、予約が取りづらくなりました。お客さんからも「優勝したんだって?」と声をかけられることが増えて嬉しかったですね。

 

ーーマレーシア人と日本人は味覚が違うと言われますが、日本人やマレーシア人のお客様にどうやって対応しますか?

 

確かにマレーシア人と日本人の味覚には違いがあります。例えば、マレーシア人には「豚骨ラーメン」は油っぽくて、塩辛く感じます。そのため「織部」では、お客様がマレーシア人か、日本人かで味を変えているのです。女性か、男性か、子供か、でも変化させることがあります。
大事なのは相手からのコメントやフィードバックですね。おそらく「正しいお客様」というのはいないんですよ。それぞれのお客様の好みを把握し、一人一人に対して少しずつ変化させていきます。

 

クアラルンプールではここ1年で閉店していくレストランをたくさん見てきました。10年続けていくのは大変なことですが、お客様一人一人を大事に今後も料理していきたいですね。

 

ーーありがとうございました。

 


(編集後記)
「織部」のマスターシェフ折付秀明さんにチョンさんの評価を伺いました。「クアラルンプールの和食は競争が激しく、レベルも上がってきています。その中で、優勝できたのは素晴らしい。彼には特に素質があったと思います。学ぶ力も大きく、カウンターに入ってもらう日も間近だと思っています」と話してくれました。
謙虚で穏やかなマレーシア人らしいチョン・チェン・ロンさんが、日本食シェフとして活躍する日が楽しみです。

 

The post 「無料で僕を働かせてください!と店に直訴しました」 世界一の外国人和食シェフの意外な原点 first appeared on マレーシアマガジン.

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